第50回「天海作品の論考を振り返って」

石田隆信

天海の奇術の論考を書き始めて50回となりました。今回でこのテーマについては終了とさせていただきます。ここまで続くとは思っていませんでした。続けることができたのは、天海の奇術には他にはない不思議さと斬新さがあったからです。また、毎回新しい発見がありました。2008年発行のDVD「石田天海の研究」の中で、天海奇術の特徴について「1つの手順に対する執念が違い、不思議さの度合いが違う」と答えられていた小川勝繁氏の言葉が強く記憶に残っています。今回の天海奇術の論考では、各奇術が何を元にされ、どのように改良されたのかの調査に重点を置きました。そして、海外の文献では、天海のどのような奇術が発表されていたのか。逆に日本だけで知られ、海外には紹介されていない奇術についても報告しました。特に一番お知らせしたかったのが、海外で間違って伝えられていることや、海外や日本でも知られていないことについてでした。

最も伝えたかったのが、第1回の「インターロック・カードプロダクション」(木の葉カード)です。日本では当然のように天海考案として知られていますが、海外では全く違っていました。1940年の「エキスパート・カード・テクニック」の本では、天海の方法が解説されていたのにクリフ・グリーンの考案となっています。そして、1961年のクリフ・グリーンの「プロフェッショナル・カード・マジック」の本では、1940年の本の解説が自分の方法ではないことを指摘されています。そのことはよいのですが、天海の名前を出さずに、日本人マジシャンが元々は演じていなかったのに、グリーンの方法を発展させて数年後には演じていたような報告にしている点に問題を感じました。

この2冊の本は有名で、その影響が現在でも残ったままです。両手の指を組み合わせてカードを出現させる原案者はクリフ・グリーンです。しかし、天海の方法とは全く違い、天海はグリーンの影響を受けていません。日本で考案し(松旭斎天洋著「奇術と私」329ページ)、1924年に渡米した最初から演じていたことが分かっています(1975年度版「奇術五十年」歩みの跡176ページ)。このようなことを日本のマニアの方に知ってもらいたいと思い論考を書き始めました。

次に報告したかったのが、第4回の「天海のカード・アディションについて」です。若いカードマニアの間で最近よく使われるようになったのが、クリス・ケナーの”For 4 For Switch”です。しかし、この元になるのが天海であることを誰も知らないのではないかと思います。このことを見つけた時には、是非、多くの方に知ってもらいたいと思いました。クリス・ケナー以前には、数名が少し違った方法で発表しています。そして、それらに影響を与えていたのが1968年に発表されたエドワード・マルローの方法です。しかし、1985年のBraue Notebook Vol.5には、1936年に天海の方法に影響を受けたBraueの方法をメモしていることが分かりました。1920年にはジョーダンの方法が発表されていますが、全くカードを広げずに行っていたために実践的ではありません。それを、天海が4枚をファンに広げて実践で使えるように変えています。天海は1949年に一時帰国されていますが、1951年発行の柴田直光著「奇術種あかし」の91ページには同じ方法が解説されています。この方法がその後発表されるマルローの方法とほとんど同じでした。なお、1953年に天海とマルローが2回会っていますので、その時にマルローに見せたのではないかと考えています。

第2回の「天海VSカーディニのビリヤードボール対決」は、天海の「奇術五十年」を読んだ時から気になっていました。1933年のカーディニとの奇術合戦で、シガレットが引き分けとなり、ボールは天海が勝利したと報告されています。そのことから、ボールのお互いの演技がどのようであったのか知りたくなりました。2007年に発行されたカーディニの本を読んで、カーディニのボールの演技の凄さを知り、この演技に勝った天海のボールに興味を持ちました。さらに、カーディニの本で意外であったのが、1933年の奇術合戦の記載がなく、1930年にシガレットの演技で天海を訴えていたことです。逆に天海の「奇術五十年」には1930年に訴えられた記載がありません。このことに関しては、MN7の別の項目で取り上げていますので参考にして下さい。

天海の奇術の中でもすごさを感じる作品であるのに、海外では発表されていないものがあります。第3回「天海のシンパセティックシルク」第6回「天海の消える結び目(バーグノット)」第9回「天海のペネトレーションハンカチ」第19回「天海のシェファロの結び目」などです。天海の発表作品で共通していたことが、元の作品を大きく変更して新しいものに作り替えていたことです。

第5回の「天海ピンチと天海ペニー」については、海外では間違って伝えられた歴史があります。これが本当の意味で正しい内容で知られるようになるのが21世紀に入ってからであったのが驚きです。第20回の「天海パーム」も、海外でその名前が本当の意味で定着するのが1990年代に入ってからと言えそうです。それ以前では、バーノンが紹介していた親指から手前へ大きく突出したパームが、天海パームとして知られていた傾向があります。そのために、マルローが発表した突出が少ないパームは、別のものとの主張もありました。マルローが亡くなった90年代以降には、それらも含めて天海パームと書かれるようになっています。

第8回の「センタースティール」が、1938年発行の「グレーターマジック」では間違ったイラストで描かれていました。正しいイラストで解説されていたのが1974年の”The Magic of Tenkai”です。しかし、「グレーターマジック」のイラストの間違いには触れていません。その間違いをハッキリと指摘していたのが、1994年のリチャード・カウフマンによる「グレーターマジック」でした。また、第13回の「天海のカラーチェンジ」は両サイドが上下になるようにしていますが、「グレーターマジック」では両エンドが上下にされたイラストで、縦に長い状態になっていました。それは間違ったイラストであるのか、初期には天海はそのように行っていたのか疑問が残る部分です。

天海とバーノンの出会いは、1954年のシカゴが最初であったのが驚きです。天海は34年間アメリカで過ごされましたが、バーノンに会ったのが帰国する4年前になります。そして、1957年にはバーノンがロサンゼルスを訪れた時に、天海の住居の近くのホテルに宿泊し、何度も天海宅を訪れて交流されていたようです。バーノンは天海から「天海パーム」と第35回の「ハンカチとコイン」の影響を受けています。また、第23回「ロングペーパー使用の紙幣焼き」を教わっていました。それに対して天海は、第14回「ロープパズル」第24回「スリーカードモンテ」第41回「カップ・アンド・ボール」でバーノンの作品を大幅に変更していました。

海外の天海の初期の発表作品を見ますと面白いことが分かります。1934年のニューヨーク時代には、初めてスフィンクス誌に天海の作品が掲載されますが、3作品中の2つが日本からのものでした。「首を通り抜けるロープ」と「天海のスリー・ダイス・トリック」です。また、1936年と37年のロサンゼルス時代には、Genii誌に掲載されますが、その2作品とも日本から持ち込んで改良されたものでした。「落ちないグラス」と「メンタル・カードトリック」(中国の「蘇武牧羊」の改案)です。そして、1946年のハワイ時代には、スフィンクス誌から依頼されたのが「蝶々」のトリックです。これらは、当時のアメリカでは方法が知られていなかったことから解説されたようです。

天海の奇術を全体的に見直して思ったことは、1つの作品を完成させても終わりとせずに、さらに改善を続けられていたことです。第18回の「フライングクイーン」は、見るたびに違ったものに変化していたことからも分かります。そして、天海のハンドリングにも大きな特徴があり、天海流とも言える面白さを感じました。隠しておくべきコインやボールを1カ所で保持したままにせずに、左右の手に移動させていたことです。なにげない扱いで手がカラであることを見せつつ、隠しているものの存在を感じさせないようにされていました。このことがよく分かるのが、第27回「ペーパーコーンとコイン」第43回「紙幣チェンジ」第46回「ペネトロコイン」第49回「1カップ・3ボール」などです。

最後に、海外の文献に発表された天海作品を紹介します。”The Magic of Tenkai”の本に関しては、新たに加えられた13作品だけを最後に掲載しました。日本の文献に関しては、このMN7の資料保存に掲載の「石田天海資料リスト」を参考にして下さい。なお、私が取り上げなかった天海の奇術がまだまだありますが、MN7発行の氣賀康夫・小川勝繁著「天海タッチ」や、加藤英夫・河合勝著「天海の足跡」も、是非、参考にして下さい。

(2022年4月19日)

海外発表の天海奇術一覧

1934 Barland’s Novel Cigarette Tenkai Cigarette Surprise
1934 Barland’s Novel Cigarette Tenkai Ghost Cigarette
1934 Nelmar編集 UNIK TRIK that KLIK Tenkai Teaser
1934 Sphinx 9月 Tenkai Dice
1934 Sphinx 9月 Rope Decapitation
1934 Sphinx 9月 Tenkai Coin Production
1936 Genii 11月 Japanese Glass Levitation
1937 Genii 8月 Japanese Mental Card Effect
1937 Sphinx 8月 Silks From The Air
1938 Sphinx 8月 Miracle Rope Effect
1938 Greater Magic Palming One Card Tenkai Method
1938 Greater Magic The Tenkai Color Change
1938 Greater Magic The Tenkai Knot
1940 Expert Card Technique Interlocked Card Production
1941 Tarbell course in Magic Vol.1 Tenkai Reverse Card Mystery
1941~42 Tenkai’s Manipulative Card Routine ハワイ発行、シカゴで即完売
1945 Tenkai’s Manipulative Card Routine 終戦により本の広告が掲載
(1950) 上記冊子がアボット社より再販される
1946 Bat 2月 1974年での作品名はCigarette and Handkerchief Routine
1946 Sphinx 8月 Cho-Cho(胡蝶の舞)
1950 Hugard Magic Monthly 11月(ガードナー解説)The Tenkai Pennies
1952 Bobo Modern Coin Magic Devaluation(スリービング・コインチェンジ)
1953 Tenkai’s Six Tricks Dye Tube Technique
1953 Tenkai’s Six Tricks Knots Supreme ロープ2本とシルク3枚
1953 Tenkai’s Six Tricks Three Dice Tricks
1953 Tenkai’s Six Tricks Two Penny Trick
1953 Tenkai’s Six Tricks Two Coin Moves
1953 Tenkai’s Six Tricks Card Flight(フライング・クイーン)
1955 Gen 7月 Tenkai Penetrating Coin
1958 Hugard Magic Monthly 2月号(ガードナー解説)Double Climax
1958 Genii 3月 Tenkai’s Coin in Corn Vanish
1958 Genii 3月 Tenkai’s Surprise Silk Vanish
1959 Genii 12月 Surprise Silk and Billiard Ball Production
1965 Genii 7月 Billfold and Cards
1967 Genii 4月 The knot of Foam 消えるロープの結び目
1969 Genii 9月 Reverse Push Off Count
1971 Genii 5月 Tenkai’s Rope Puzzle
1974 The Magic of Tenkai 上記作品の再録と新たな作品が収録
1989 The Vernon Chronicles Vol.3 Tenkai’s Phoenix Bill Vanish

The Magic of Tenkaiに上記以外で新たに加えられた13作品

1 Four Ace Routine
2 Surprise Color Change
3 Topsy Turvy Cards
4 Coin Chase
5 Silver Production Out of The Air
6 Catch The Coin
7 Coin Into Handkerchief
8 Ring Off Rope
9 Chair Release
10 False Knot Gimmick
11 Cut and Restored Silk Handkerchief
12 Vanishing Silk Knots
13 Production of Several Silks

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